そして誰もいなくなった。

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<<書評>> -その他- 「嫌われる勇気」①

 

嫌われる勇気―――自己啓発の源流「アドラー」の教え

嫌われる勇気―――自己啓発の源流「アドラー」の教え

 

 「嫌われる勇気」読了しました。

 

迷える少年と、哲学者の対話形式での、哲学問答のような進み方でアドラー哲学を一通り理解できるような形になっています。

 

もともと、アルフレッド・アドラーオーストリア出身の精神科医でした。当時のフロイトが主宰するウィーンの精神分析協会に属していましたが、学説上の対立から、脱会し、「個人心理学」を提唱します。なので、フロイトが提唱する心理学とまったくの別物と思った方がいいようです。

 

フロイト心理学では「過去に〇〇という出来事があったから、今、こんな状況になっている」というような「原因論」で、精神分析しますが、

アドラー心理学では「まず目的があって、この状況を作り出している」というような「目的論」で、精神分析をします。

 

たとえば、フロイト心理学でいえば「過去に親に殴られたから、それがトラウマになって親に拒絶反応を示す」と精神分析するところを、

アドラー心理学では「親を許したくないから、拒絶反応を自分で作り出している」という風に分析します。

 

そんな訳で、アドラーフロイトが提唱する「トラウマ」を全否定します。精神は、過去の出来事に関係なく、まず目的があって、そこに規定するように感情を作り出している、といった感じです。

 

まぁ、なんというか。。。耳の痛い話で、本書を読んでいると、納得します。

 

なので、「人は変わることができる」という前提にあなたが立つ場合、フロイト心理学を認めるわけにはいかないのです。なぜなら、「原因」は「過去」のことであって、過去は変えられないのだから。おのずと「目的論」に立脚せざるを得ないわけです。

 

ちなみに、アドラーは著述活動にほとんど関心を示さなかったようです。実際に現場に出て行って、人々と対話することで、気付きを与えるような、いわゆる部屋に閉じこもってうんぬん理屈をこねるような学者ではなかったようです。まぁ人徳があるような人だったということでしょう。(ソクラテスも著作を一冊も、世に送り出したことがなかったそうです。)

 

では、目的論について詳細に確認していきます。

 

「あなたが不幸を感じている」場合、それは目的論でいえば、「あなたが自らの手で『不幸であること』を選んだ」と考えます。

 

耳が痛いですが(笑)

 

「不幸な特質をもっているから、こんな状況になっているのは仕方ないじゃないか」と思われる方もいるかもしれませんが、それは「不幸であることを断続的に選んでいる」ともいえます。それは当の本人には、『善』の思考なのです。どういう意味で『善』なのかというと、「いろいろと不満はあるけれど、このままの方が、楽だし、変化がないから安心だよね」という意味合いで、本人にとっては『善』の思考なのです。(そもそも行動には、自分のためになる、という意味で『善』の行動しかしません)ということで、「不幸であることの方が、楽」なわけです。

 

 

アドラー心理学では、性格のことを「ライフスタイル」と呼びます。今のライフスタイルは大体、10歳前後に選んでいるとアドラーは分析します。ここで重要なのは、「ライフスタイルというものは、先天的に与えられているものではなくて、あなた自身が選んでいるもの。すなわち、ライフスタイルというものは選びなおすことが可能なのだ」という見方ができることです。

 

先ほどの例で言いますと、「不幸な特質をもっているから、こんな状況になっているのは仕方ないじゃないか」といっている人っていうのは、「もし〇〇だったら~」というような思考を心に持ち合わせています。つまり可能性の中に生きているわけです。可能性の中に生きているということは、変わらないことに不断の決断をしているわけでライフスタイルを選びなおすことはできません。

 

なので、ライフスタイルを選びなおしたい場合、とりあえず『前に進むこと』が大事だと本文中に説いています。前に進むことによって、良い悪いにかかわらず可能性が顕在化する、と。とにかくライフスタイルに不満があるんだったら、前に進め、と、可能性の中に生きているうちは何も変わらない、とそういうことです。

 

ところで、自分を振り返って考えてみると、悩み、というのは人間関係から起因していることに気付きます。アドラーも「すべての悩みは人間関係の悩み」だと断言しています。なので、本文中に語られるのもすべて、「人間関係についての解決法」です。

 

人間関係についての解決法、その一

 

「他者から承認を求めることを否定する。」

 

「他者の期待に応える」とは、すなわち、他者の期待に沿うように生きているということでもあります。では、あなたが他者の人生のために生きているとしたら、『誰がわたしの人生のために生きてくれるのでしょうか?。』冷静になって考えてみてください。そんな人は誰もいなかった(笑)すなわち他者の期待にこたえてはいけないのです。

 

 

長くなりましたので、別記事にしたいと思います。