そして誰もいなくなった。

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<<書評>> -小説- 「はなとゆめ」

 

はなとゆめ (角川文庫)

はなとゆめ (角川文庫)

 

 冲方丁著作「はなとゆめ」読了しました。

 

★あらすじ

 

清原元輔の娘、「清少納言」は、平安の浄土といわれるような「宮中」へ出仕することになる。そこで出会った、天皇の妃、「藤原定子(作中では中宮様)」の魅せる「華」にほれぼれし、心酔するようになる。中宮様も清少納言のことが気に入り、目掛けるようになった。

ある日、藤原伊周中宮様の兄、当時相当な高位にいた。)から中宮様の方へ上質の紙が献上されるようになる。何を書くか、考えあぐねているときに清少納言が、中宮様の婿、一条帝が史記を書いていることをお聞きして、「敷き(史記)にかけまして、枕(分厚い書物の意)というのはどうでしょう」と、進言したところ、中宮様は「ならば、あなたが書いてみて」とその紙をプレゼントすることになる。

 

「あなたの『枕』には何を書くのかしら?」

 

わたしの枕とはなんだろうかと考えた時、自分の人生のなかで、一番を占めていたのは中宮様への思いだった。

「この枕は、中宮様のために書くもの・・・」

そう心に決めた時,「枕草子」の創作が始まることとなった。

 

 

 

 

<<感想(ネタばれ注意)>>

 

 

 

 というわけで、あらすじを書くことにも苦労したわけですが(笑)

よくもこんな上手くまとまったなぁと感心します。平安時代の空気感、女性の社会的地位、和歌や、漢詩といった文化に権威があったこと・・・。平安時代というものが、こういうものだったのかということが、この本一冊読めば、分かります。

 

では、個別的に、感想を。

 

▼「・・・女は夫や家族にのみ顔をみせるべき」

 

 そんな時代だったのか。

 

▼「清少納言

 

 父の性である「清原」と、当時の夫の官職である「少納言」を合わせて、付けられたあだ名。とのこと

 

▼「・・・なおさら形式ばったり、雅を追い求めたところで無意味なのです。そもそも宮中の雅の究極こそ、中宮様であり皇家なのですから。」

 

 「枕」に何を書くべきかが明らかになったシーン。

 当時の風潮からすれば、紙に和歌を書くことが、当然であるといえるでしょう。それが、権威であったし、表現方法の常識的な手段だったからです。がしかし、清少納言は、究極の雅を知っているからこそ、中宮様に書くべきは「機転を利かせた、笑って、楽しんでもらえるような文章」という、当時では突飛な紙束であったに違いありません。そう考えてみると、歴史的にみても重要な書物だといえるし、この清少納言という人物が、いかに特異な人物であったということを感じます。

 

▼「とにかく参上してご覧なさい。本当に趣のあるお庭でね。牡丹なんて風情がありましたよ」

 

 経房様が清少納言に、宮中に戻ってきなさいと遠まわしに説得するシーン。

 ここでいう牡丹とは、きれいな花を咲かせた牡丹の意ではなく、詩で引っ張ってきた「秋に牡丹の草むらに題す」の枯れ果てた牡丹を指している。中宮様が宮中から出家したと聞いていた清少納言は、ここでいう牡丹が、中宮様であることを感じ取る。経房様が、「中宮様が今、大変な状況だから戻ってきてくれないか」というメッセージを送っていることに清少納言は理解した。

 

遠まわしすぎる(笑)

 

▼「・・・聖賢の王は、人に何かを与えはしないのです。その人を、その人にしてくれる。・・・あの『枕』は、清少納言中宮様のために書いたものだ。人はそう言うでしょう。実際、その通りなのです。しかしわたしの中の思いは、また少し違っています。わたしと中宮様がともに見出した、愛おしい記憶のすべて。

それがわたしの『枕』なのです。」

 

『聖賢の王は、人に何かを与えはしないのです。その人を、その人にしてくれる。』まさに珠玉の一言であるといえます。中宮様が、うまく力を引き出したおかげで、才気あふれる清少納言が誕生したとあなたがこの「はなとゆめ」を読んで納得したなら、これはもう現代においても通じる教えだといえます。