<<感想>> -エロゲ―- 「ギャングスタ・リパブリカ」
WHITESOFT制作、第五弾「ギャングスタ・リパブリカ」、クリアしました。
メインライターが元長柾木氏ということで、内容に期待しまして、約3年ほど前に購入しました。当時は希が好きだったので、とりあえず希ルートをクリアした後は、一旦放置していました。個人的に、キャラクター同士の主義主張の対立の場面が、ちょっとチープに思えて、全クリアする気が起きなかったのは、そこが原因だったと思います。
今回、コロナウィルスの関係で自宅待機が叫ばれている関係で、時間に余裕ができたので、せっかくだから最後までクリアしようと、およそ一週間ほどかけて一通りクリアし終えました。
前回感じたことは、やはり今回も感じるようで、主義主張の論戦があまり面白くなかったのですが、そこを除けば、やはり元長柾木ですから面白い。
本作は、二部構成で、一部は普通にキャラゲーとして、キャラクターの内面を掘り下げていきます。そして二部のキャラクター同士の主義主張の論戦に持っていこうという感じがあり、1部はその前段階としての役割としてしか期待されていないように感じますが、ところがどっこい、1部、面白いです。
感想を検索していくと、1部の評判があまりよろしくないのですが、どういう訳か私は好みでした。BGMも良いし、ホップアップ式のテキストボックスも読みやすいし、童心を思い出すような叶の言動も好きでした。WHITESOFTはもう自然消滅してる感がありますが、このホップアップ式のテキストボックスは革新的なシステムなので、他のところでも採用されると良いと思います。
では、あらすじですが、
主人公、時森叶が幼少のころ、大事な妹である時森希が迷子になった。電話は繋がるが、自分の力ではどうすることができない希を、自宅まで連れ帰ってきたのは一組の男女だった。叶がお礼を言おうとするとその男が
「礼だったら不要だ」
「悪は畏怖されるもの。礼など不要だ」
と遮られてしまう。当惑する叶に善のヒーロー、悪のヒーローについて語る。善のヒーローは人々から共感されるが、悪のヒーローは人々から共感されない。であるからこそ、悪のヒーローは人々から制約を受けず、この世界を変えることが出来る。この言葉はとあるベストセラー作家の言葉を借りたものだった。
「悪とは、『人がそうしたいと思うのとは違うやり方で、人がそうなりたいと思うことを実現すること』」
それが男の語る悪の定義だった。
「悪を・・・自分のものにしてみないか?」
その後しばらくの時が経ち叶は聖天義学園の高校二年生になった。叶は6月のとある日、かねてより学生間で噂になっていた雑貨屋兼喫茶店に入る。
『心のなかのガラクタを捨てられないのなら、あの店を訪れるといい。』
『いつか、仲間にめぐり逢える』
そんな噂を真に受けたわけではないが、叶はそこで魚のキーホルダーを購入した。
数日後、ショッピングセンターの外のベンチに腰掛け魚のキーホルダーを弄んでいた時、同じ聖天義学園に通う一つ年上の古雅ゆとりから声を掛けられる。
「ガラクタが・・・あるのね。」
「人とは違う何かが、心の中に」
「みんなが捨てていったものが、捨てられないのね」
そして、唐突に言った。
「『仲間』に、ならない?」
・・・その後、聖天義学園にギャング部は結成された。あの店で買ったキーホルダーを手にした者たちが部員として集った。叶にはこの部活で達成したい目標がある。「悪の組織を作ること。そして、悪が世界を変えること。」それはあのときの男の在り方に、あこがれていたからなのかもしれない。
こうして『悪党どもの、共和国(ギャングスタ・リパブリカ)』が始まりの鐘を告げる。
≪以下、ネタばれ注意≫
ライターが元長柾木なので、内容を理解するためには毎度のことながら周回プレイが必要になってきます。sense off然り。猫撫ディストーション然り。スルメをかみしめるように、じっくり味わい尽くしましょう。
禊、こおりのGENESISルートは謎。禊GENESISは一部禊ルートの続きになる位置付けですが、禊GENESISは叶がループ可能な世界。こおりGENESISは叶がループ不可能な世界にいます。禊GENESISについても、叶がヒッパルコスの天使と関わり合いがあったことは作中から読みとれますから、矛盾しているのはこっちと言えましょう。
物語の構造が不明であるためその考察は脇に置いて、作中で出てくるテーマについて、作中の言葉を用いながら、感想を書いていこうと思います。
1.こおり2部ルート 『背負っているもの』
禊は宮司としての過去、ゆとりは膨大な資産、希は天才的な頭脳を持ってこの世に生を受けている。これら境遇、能力に共通するのは、『他の人と比べて特別』ということだ。特別であるからには背負わなければならないものがある。しかしそれでも一般人からしたらその境遇は羨ましいものだ。あおいは普通の女の子だ。ただ人よりも世渡りが上手で、勉強も出来て、頼りにもなる。でも普通の女の子だ。
叶も『特別』だった。年齢の割に子供っぽいところがあって、他人の目を気にすることなく自由に振舞う様は、ある意味特別な存在と言えよう。
そんな面々が集まるギャング部において、『普通』であるこおりは劣等感を抱いていた。『特別』であることで繋がる連帯感の自分だけが枠外にいるのではないかと思ったからだ。だから大好きな叶を奪いかねない特別な禊が、ゆとりが、希が憎かった。
だが叶はその認識を否定する。
「こおりみたいに成績よくなかったから、進む道は、早々に分かれるものと思ってた」
「聖天義に来たのは、半分はこおりのためだし、こおりのおかげでもある」
「だから、俺が今ここにいるのって、こおりが背負ってくれてるおかげなんだよ」
何も背負っていないと思っていたこおりだったが、実際にはその背後を必死に食らいついてきた影があったのだ。自分は特別なところなんてないと思っていても、他人から見たら特別に見えることもあるのかもしれない。
2.心のガラクタ、悪の組織
心のガラクタとは何だろうか。作中の言葉を借りれば『みんなが捨てていったもの』つまり、人間の成長過程で普通は捨て去ってしまうものの総称だろう。それが捨てられない人達だったからギャング部に集まってきた。叶は『悪が世界を変える』禊は『統治者としての自覚』こおりは『人間関係の潔癖さ』ゆとりは『無垢』希は『子供の論理』左記は、作中で明示されたものでないので私の予想ではあるが、とにかく、大人になる過程で捨ててしまう、というと語弊があるが、制御できてしまうものである。
そんなガラクタを抱えた彼らが悪の組織を作ろうとする理由は、人間は一人では世界を変えることは出来ないと分かっているからではないか?心のガラクタは悪に通ずる。何故ならそれが他人には理解されないからだ。他人には理解されないガラクタだが、同じものを持つ者にとっては同志の証。だからそのコミュニティ内ではガラクタはガラクタではなくなり、それぞれの信念となる。彼の求めるリパブリカは、そこにある。
3.悪は世界を変えることができるのか
いや、悪だからこそ、すばやく世界を変えることができるのだ。
悪は『公平を追求する必要がなく』
悪は『はっきりした思想信条を持たない』
悪を信じるものは、一般的に共感されないから、孤独で、孤高の道となる。でもその価値観を共感しあえる仲間がいるのであれば、そのガラクタは自分一人だけのものではなくなり、揺るぎない信念として、世界を変える力になるはずだ。