そして誰もいなくなった。

書評、エロゲ―の批評等しています。感想、考察は基本ネタばれになります。閲覧にご注意ください。

<<書評>> -ビジネス本‐ 「あなたの会社がもらえる!補助金・助成金」

 

あなたの会社がもらえる!補助金・助成金 (DOYUKAN PRACTICAL BOOKS小さな会社がすぐに使える)

あなたの会社がもらえる!補助金・助成金 (DOYUKAN PRACTICAL BOOKS小さな会社がすぐに使える)

 

 昔、一度、補助金申請のための資料作成を手伝ったことがありますが、結構、面倒くさいというのが印象です。請求書、見積書、発注書、領収書....。出来あがった紙束は結構な厚みがありました。

 

面倒くさい作業ですけど、企業支援という意味で考えたら、税理士事務所の業務の範疇のような気がしますね。というわけで、補助金関係の本を読んでいます。

 

★読書メモ

 

補助金などの、公的支援施策については、「やる気のある中小企業」を支援するためのもの。なので、やる気のある中小企業に変わる必要がある。

 

▼では、「やる気のある中小企業」を国はどうやって区別しているのだろうか?その区別するために作られた法律が、「中小企業新事業活動促進法」である。この法律の承認を受けた企業については、「やる気のある企業」=「積極的に支援すべき会社」として、国のお墨付きを得たということになる。

 

中小企業新事業活動促進法は、中身が以下の3つに分類される。

 1、創業及び新たに設立された企業の事業活動促進

 2、中小企業の経営革新(本法律の主軸、重要)

 3、異分野の中小企業の連携による新事業分野開拓

 

中小企業新事業活動促進法の適用の承認を受けたら、どういった優遇措置があるか?

 1.信用保証協会の保証枠の引き上げ

 2.政府系金融機関による低利融資制度

 3.高度化融資制度

 4.小規模企業設備資金貸付制度の特例

 

▼各都道府県によっては、経営革新の承認を受けた企業に対して、補助金をだすところもある。

 

▼経営革新の法律上の定義

 経営革新とは、事業者が「新事業活動」を行うことにより、その「経営の相当程度の向上」を図ることをいう。

 「新事業活動」とは

  ・新商品の開発、又は生産

  ・新役務の開発、又は提供(3Dでリフォームした家の画像を見てから、オーダーできるようなシステムを開発して、顧客の拡大、売上の向上につなげる、など) 

  ・商品の新たな生産、又は販売方式の導入

  ・役務の新たな提供の方式の導入その他の新たな事業活動(従来のサービスの組み合わせの変更や、新しい業界の流れに対応するためのサービス形態の改善など幅広い。)

 

 「経営の相当程度の向上」とは

  1.「付加価値額」又は「一人当たりの付加価値額」の伸び率

   ・付加価値額=営業利益+人件費+減価償却

   ・一人当たりの付加価値額=付加価値額/従業員数

  2.「経常利益」の伸び率

  が、

  3年計画の場合、終了時点において、1.に掲げたどちらかの伸び率が、9%、かつ、2.に掲げた伸び率が3%を達成できるような、「事業計画」である必要がある。

 

×××××××××××××××××××××××××××

 

中小企業新事業活動促進法について、特に理解が深まりました。ちょっと導入は蛇足な気がしますが、分かりやすくまとまっていた良書です。

<<考察>> -エロゲ―‐ 「カルマルカ*サークル 夏目暦編」

 

カルマルカ*サークル 通常版

カルマルカ*サークル 通常版

 

 

たったいま、夏目暦編、クリアしました。

 

めっちゃ良い話でした。飽き癖の私がもう少し長くても良かったと思えるくらい、満足のいく完成度を誇っていたと思います。これでもう暦ちゃんとお別れと思うと、ちょっとさみしくなりますね...。

 

もともとカルマルカサークルについてはちょっと気になっていて、いいなぁとか思っていたんですけど、評判を見る限りでは評価が芳しくなくて手を出さずにいました。

 

ただ、最近私が疲れてきたのもあって、癒されたいという気持ちに軸が振れていたことから、絵柄のかわいい「カルマルカサークル」に元気をいただこうと思い、ようやく最近になってから購入を決意しました。

 

もともと私は、購入する前にどんな作品なのか?(シナリオゲー?キャラゲー?)どのくらい評価されているのか?を調べてから、購入する、しないの判断をしています。で、カルマルカサークルについては、「キャラゲーだろ。」という先入観を基にプレイしていました。私は、キャラゲーだと判断した作品をするときは、シナリオの不備、矛盾とかがあってもあんまり気にしません。シナリオを見ながら脳内アニメ化にしたりするので、細かいところが気にならなくなるからかもしれません。

 

シナリオゲーより、キャラゲーの方が、一文一文しっかり楽しもうというモチベーションでプレイしているので、どちらかといえば、キャラゲーの方が、キャラクターに愛着がわきます。今回のカルマルカサークルについては、その振れ幅がより顕著だったかなと感じているところです。(まだ暦しかしてませんが...。)

 

 

そんな感じで、暦。絶賛中です。

 

暦のストーリーについていろいろ語る前に、先にシステムの不満点から書いていこうと思います。

 

このコメントをさんざんとネット上に残してますが、

「最後にfinを入れろ!」

というのがまずコメントになります。余韻がぶった切れて現実に引き戻される感が半端ないです。暦との超えられない断絶を感じます。好きなキャラクターであるほどショックなのでどうにかしてほしいです。

 

今のところ不満点は...それくらいですかね。逆にそれ以外はすべて良いですね。

 

では本題ということで、考察ってほどでもないですが、感想を書いていこうと思います。

 

あらすじとしては(ネタばれ注意)

 

児童養護施設で育った夏目暦が、星渡り同好会のメンバーたちと出会って、児童養護施設への無償の寄付についての道徳的問題について意見しあったり、暦と同じ境遇にある親なき子の精神的なサポートをしたり、これからの自分の歩む道について考えたりするような話です。

 

人生的な広がりがあって、連続的につながっていると思っているので、あまり切り取って話してしまうと、それはそれで魅力を十分に伝えきれないような気がしますが、今回は、自分の歩む道についての暦の惑いのところについて思うところを書いていこうと思います。

 

 

1.『君は誰だ?』

 

私は、〇〇の子供で~、、、という説明をしたところで、それが「私」を語っていることになるのだろうか?その親が存在しなかったら?そしたらまた、自分を説明する枝番をつけないといけないことになる。私は、〇〇生まれで~、、、果たしてどこまで枝番をつければ私という存在を説明することができるのだろうか?

自明な解答だが、どこまで枝番をつけたとしても私を説明したことにはならないのである。枝番が消滅してしまえば、理屈の上で私という存在は消滅してしまう。

幼いころの暦はこの問いに賢い返事をした。

「・・・・・私は、だれでもありません。」

他のだれでもないということが、私の個性の証明になっているのだ。

この回答を聞いた師匠は、暦に対して「君」という存在について、一つの呼称をつけることにした。

「君は、私の弟子だ。」

 

2.自分の進むべき道は自分で決めないといけない。

 

暦は、幼いころから児童養護施設で育ててもらい、そして在籍する学園では特待生として奨学金を借りていたりと、あらゆる社会的な援助を受けて育って生きてきた。

そんな彼女に、研究者として留学してみないかという話が舞い込んできた。理事は留学するように強く進言してきた。葛藤はあったが、最後は留学を受け入れた。それが社会的に期待されていることだと暦は自認していたから。暦は今までの人生の重要な局面においては、みんなの期待に応えるような行動をとってきたに違いない。だって今まで、社会のシステムに直接支えられて生きてこられたのだから。

理事はあらゆる手を使って、暦を留学しようと手を回していたが、はたしてこの行動というものは批判されるべき対象なのだろうか?のちのちのテキストで、「教育者としての矜持、親心があったのかも知れない。」と海人が回想しているが、確かにその一面があることを私たちはふと忘れてしまうことがある。

海人は、社会的な価値基準の天秤に従った暦に、もう一度、自分の意思で選ばないかと説得する。「俺は、暦の選んだ道についていく。お前がどんな決断をしても、決しておまえを見捨てない。だから、なんとなくでもいい。あらゆる障害を取っ払って、気持ちの赴くままに答えを出してくれ。」

その説得を受けた暦は、一つの願いを口に出す。「もし・・・、わたしが心から望むことがあるとしたら・・・。」

「それは・・・、海人くんと、一緒にいることです・・・。」

一度堰を切った口からは、ぽつぽつと希望が口からあふれ出てくる。暦は自分には選択できる意思がない、みんなの希望に沿うように生きてきただけ、というようなことを言っていたが、果たしてそれは本当なのだろうか?大きな決断を迫られた時、無意識のうちに自分の願いを抑圧して生きてきただけではないのだろうか?

みんなの希望に沿って生きていくということは、すなわち、他人の選んだ道を歩むということである。果たしてその歩んだ道は、自分の歩んだ道なんだと誇りを持って言い張ることができるのだろうか?自分の人生を生きた、と納得することができるのだろうか?

 

 

3.「君は、私の弟子だ。」

 

師匠は、普通の人だった。自分の人生に迷いがあって、幼いころの暦が思うような完璧な存在などでは決してなかった。そんな人間が、あたかも自らを「師匠」として、暦に対し私が君の人生の道しるべとなる存在なんだと誤認させるような発言をする。暦にとって師匠は、幼少期を支えた大切な存在だったので、暦の精神的支柱であったことは想像にたやすい。

一連の騒動を終えた暦は、その発言の真意について一つの解をだす。

「わたしと師匠は異なる値をもつパラメータで構成された、同じ関数だったのではないでしょうか?」

「今の過程が正しければ、わたしが弟子である理由は不定です。」

「なぜなら、トートロジーに解はありません。」

暦が絶対的な信頼を寄せていた師匠でさえも、ただ普通の、この世に生きる一人の人間だったのだ。師匠、弟子なんてものは存在しない。人生を決めるのは、師匠ではない。人生を選び取るのは、暦自身だったのだ。

 

4.

 

Q.『君は誰だ?』

 

A.わたしは、わたしです。

<<書評>> -ビジネス本- 「税務調査の心得100」他

 

身近な事例とポイントで理解するQ&A税務調査の心得100

身近な事例とポイントで理解するQ&A税務調査の心得100

 

図書館で読んだ本です。

 

 なんというか、爺くさい感じの本でした。結構厚みがあります。

 

 

★読書メモ

 

相続税を計算の際は、通帳から入出金の内容を洗い出すことが大事。

入金があった場合→給与収入?土地譲渡収入?

出金があった場合→相続人等へ贈与?他の者へ贈与?装飾品の購入?有価証券の購入?

上記に該当するものがあった場合、それぞれの申告は済んでいるか?

給与収入→給与所得申告

土地譲渡収入→譲渡損益申告

相続人等へ贈与→贈与税の申告

他の者へ贈与→贈与税の申告

装飾品の購入→通常の物品なのか高額品なのか

有価証券の購入→取得価額と相続税評価額(評価時点の時価)との比較。

 

・法人だからって全部が経費になる訳ではない。一部を経費にするときもある。

重要なのは、『売上に必要な支出なのか?』

 

・家族に給与を支払う場合には、実際にその家族が業務に従事していることを証明することが必要。

 

 

スッキリかんたん図解で会計事務所の仕事が手にとるようにわかる本

スッキリかんたん図解で会計事務所の仕事が手にとるようにわかる本

 

 これも図書館で読んだ本です。こんなニッチな本があるとは思いませんでした(笑)勉強になりました。

 

 

★読書メモ

 

・個人が土地や建物を売却した場合には、年末調整で終わり、という訳ではなく譲渡所得の計算をしないといけないので、確定申告をしないといけない。

 

・登記業務ができるのは、会社の代表者か司法書士のみ。会計事務所はできない。

 

・法人は社会保険加入が義務。個人事業者の場合、従業員数が5名以上だったら社会保険加入義務が生ずる。

 

社会保険の算定基礎届は、毎年7月1日の在職者を対象として行われるもの。4~6月の給料の平均で保険料を算定する。算定した社会保険料は、10月分の給料から控除される。

 

・会計事務所のコンサルティングについて

 職員は経営者ではないので、経営については語ることはできない。なので社長にアドバイスできることとしては、『会計数値から読み取れるもの』『自分が経験したこと』『自分が自信を持って勉強したことをアドバイスすること』に限られる。

 

・昔は、インターネットがなかったので、紹介による集客が主だったが、最近はネットが普及しているため、ホームページによる集客が主流になってきている。

 

・会計事務所の1月の業務

 法定調書、償却資産税、給与支払報告書、源泉税の特納。

 法定調書は、税務署が税務調査の反面資料として収集するもの。

 給与支払い報告書は1月1日現在の住所地の市区町村に送らないといけない。(ということは、短期的に働いていた人は、現住所がどこにあるかも分からないので、給与支払い報告書を送らなくてもいいということになるんじゃないのか?)

 

・給与支払報告書は、総括表をつけること。

<<書評>> -ビジネス本- 「『速さ』と『質』を両立させるデットライン資料作成術」

 

「速さ」と「質」を両立させるデッドライン資料作成術

「速さ」と「質」を両立させるデッドライン資料作成術

 

 図書館でさらさらーっと読みました。

 

著者は、マッキンゼーで情報収集などのリサーチ専門職として働いていた方だそうです。情報収集方法や、情報を収集する際の方針などといったことが書かれていました。コンサルティング職の人には、参考になるんじゃなかろうか、と思わせるくらい体系的にきちんとまとめられていた良書でした。

 

 

★読書メモ

 

・上司に「〇〇について調べといて」と指示されてたとき、その〇〇について、あらゆる情報を収集するのではなく、「何のためにその〇〇を調べるのか?」という目的意識をまず持つことによって、時間短縮にもつながるし、より効果的な情報を収集できることに繋がる。

 

・特定の業界について調べたいときは、MCCという軸で探すといい。

 M(Market:市場)C(Custamer:顧客)C(Competitor:競合)

 

・あらゆる情報(テレビ、ラジオなど)について、記憶にきちんと残るようにするための、心構え

 「ビジネスはどう動いているのか?」

 「世間で話題になっていることはなんなのか?」

<<書評>> -小説- 「砂糖菓子の弾丸は撃ち抜けない」

 

 かわいいタイトルとは反面、めちゃくちゃ「社会派」な作品です。私の中ではかなりおもしろかった部類になります。

 

特に、言及したいところだけ書き記すことにします。

 

・「子供にとって必要なものは安心だ。」とはどういう意味か?

おそらく、「砂糖菓子を撃ち続ける必要のない環境」ということではないでしょうか?わたしは、この「砂糖菓子」というものを「子供の論理」という風に読み替えて読んでいます。その意味において、子供の論理を振りかざす必要のない環境を作ることが大人にとっての責務なのではないか、ということを語りかけているのではないかといます。

 

・海野藻屑はなぜ、ミネラルウォーターを持ち歩いていたのか?

これも印象的だったのですが、海野藻屑は、山田なぎさ曰く「そんなにおいしいものじゃなかった。鉱物っぽいへんな味がした。いつまでこれを飲んでものどの渇きは収まらないような気がしてーーー」と評されるたいしておいしくもないミネラルウォーターを飲み続けていましたが、なぜこれを海野藻屑が飲み続けたのかと想像してみるに、「ただ心の渇き(むなしさ)を紛らわすためにひたすら飲んでいたのではないか?と私は考えています。

<<書評>> -書評- 「know」

 

know (ハヤカワ文庫JA)

know (ハヤカワ文庫JA)

 

 野崎まど著作「know」読了しました。

 

SF作品ということで、はじめてSFらしいSFを読んだ気がします。エロゲでやったSFといえば、「最果てのイマ」ぐらいで、あれは読み進めるのがキツかったのですが、この「know」に関して言えば、割と読みやすくて、SFというものがどういうものなのかを知る作品としては良い作品なのかなという風に思います。

 

が、キャラクターの魅力とかはあまり感じれず、特に主人公である「御野・連レル」については、徐々に影が薄くなっていくような感じがして、ちょっと残念でした。

 

ページ総数350項ということで、結構多いな...って感じで、あらすじに上手くまとめられるか心配ですが、書いてみます。

 

★あらすじ

 

西暦2081年、現代は「電子葉」の発明によって、パソコンやスマートフォンなどの端末を用いずとも、個人単体でネットワークに接続できるようになっていた。しかし、だれもかれもあらゆる情報に接続できていたら、ネットワークの維持に負荷がかかるという建前から、社会的に優遇されるべき人には、接続できる情報のレベルを厚遇するというクラス分けが行われていた。

 

「情報庁」に勤める、高級官僚である「御野・連レル」は、ほとんどの情報にアクセスできるクラス5を付与されていた。もともと彼が、情報庁に入省したのも、子供の頃に出会った大学の教授、かつ、「電子葉」の生みの親である「道終・常イチ」との約束を果たすためであった。

 

「君は自由でいなさい。

 情報が自由に得られる場所にいなさい。

 クラス5を目指しなさい」

この手紙を最後に、「道終・常イチ」は失踪した。

 

情報庁に勤め、情報審議官に昇進し、約束通りクラス5に昇格しても、そこから見える世界は、クラス4の延長線上でしかなかった。なにか啓示が得られるわけでもなく、ただ先生を失ったという喪失感だけが心の奥底を支配していた。

 

ある夜、いつものように教授の残した遺物であるソースコードを眺めていると、ふと違和感を感じる。ソースコードタイプミスがあることは、昔から気付いていたが、そもそもなぜ、「天才である先生がこんな私にでも分かるミスをするのだろうか?」と疑問に思った。そしてその瞬間、そのタイプミスが「御野・連レル」に宛てたメッセージであると直感した。

 

メッセージを解き明かし、失踪したはずの先生と再会することができた。そして、今まで心の中に蟠っていた喪失感を吐き出すように先生と議論し、そして先生の講義を受けた。

 

先生はなぜ失踪したのか?その理由は、「電子葉」の先を目指すためだった。現代のインターネット網はカオス化していて、人間の脳のような複雑性を極めており、かつ、人間の「癖」のようなものがインターネット上に発生していた。「電子葉」では、その癖を解析するだけの演算能力が足りず、新たなデバイスを開発するための環境を求めて「道終・常イチ」は失踪していたのだった。

 

そして、「御野・連レル」が訪れる今日よりもずっと前に、「電子葉」の完全上位互換「量子葉」が完成していたことを「御野・連レル」に告げた。そしてそのチップを埋め込んだ、「道終・知ル」が、講義中の教室に現れ、「御野・連レル」の眼前に立つ。

 

先生は、「道終・知ル」の頭を優しく撫でた。

 

××××××××××××××××

 

「後のことを頼みたい。そのために君を呼んだ。」

「後?後って何ですか?どういうことですか?」

先生は彼女の肩を優しく掴んで、体を離した。

「お父さん」 

 

先生は少女に優しく微笑みかけ、そして僕に顔を向けた。

 

「科学が求めるものはなんだ?」

 

それは問題だった。

先生が僕に出した問題だった。

僕は考えた。考えた。考えた。

けれど僕は答えられなかった。

はじめて会った時から僕は、先生に一度も追い付くことができなかった。

 

「”全知”だよ」

 

 

先生は解答を呟くと、懐から黒い塊を取り出した。僕がそれを銃だと認識する間もなく、先生はそれを自分のこめかみに当てて、「先に行く」と言って、そのまま撃ち抜いた。

 

 

××××××××××××××××

 

 

いやー、「良くできている」というのが、感想を述べる際の第一声になるでしょうか。

 

ほとんどの伏線は回収されているような気がしますし、SFとしての理屈付けも理にかなっているように思います。

 

例えば、未来を予測できるとはどういうことなのか?についての説明があります。

 

人間には想像力(未来を予測する)が備わっていて、それは、過去の経験を基に、想像を働かせている。では、あらゆる情報(過去)を収集できる者は、限りなく正解に近い予測をすることができるのではないか?

 

という、理屈付けがあったりします。確かに、ありとあらゆる情報が取得できるのならば、本人以上に本人を知っているのかもしれません。

 

その他にも、なぜ「御野・連レル」が選ばれたのか、なぜセックスの描写があったのか、なぜ「道終・知ル」は自殺したのか。

 

あとあと考えてみると、しっかりと納得できます。そこら辺がSFといわれる所以でしょうか?

 

<<書評>> -その他- 「死ぬほど読書」

 

死ぬほど読書 (幻冬舎新書)

死ぬほど読書 (幻冬舎新書)

 

 伊藤忠商事㈱の名誉理事である、丹羽宇一郎さんが、読書の効用や、読書の必要性、また、丹羽宇一郎さんにとって、読書というものがどんなものであったかを語った本です。

 

タイトルは、「死ぬほど読書」っていうことですが、タイトルに偽りありというか、丹羽宇一郎さんが伝えたかったのは、そういうことではないかと思います。「死ぬまで読書」がタイトルとしてはふさわしいように感じました。

 

「死ぬほど読書」っていうと、本人の意気込みを読者に発信していようで、すごく熱い性格の人なんだろうなぁ、と受け取られそうですが、読み終わってみると、内省的な性格の方で、ほんと読書が好きなんだろうなぁ、と思わせます。

 

 

★読書メモ

 

・インターネットが普及した今、アメリカの先の大統領選のときに起きたような、フェイクニュースというものが飛び交っていたりと、信頼の出来ないニュースや、情報が飛びかっている現状がある。情報の受け手は、ただ情報を安易に受け取るだけではダメで、批評的な見方が今後ますます重要になってくると考えられる。現状、ネット情報の信頼性が低いのが問題。その点、本というものは、書き手というものが明示されているので、信頼性が最低限担保されている。

 

・「知識」とは、ネットで引っ張ってくる断片的な情報のこと、ではない。情報を「考える」作業を経ないと、知識にならない。考えることによって、さまざまな情報が有機的に結合し、「知識」になる。

 

・教養とは、「自分が知らないことを知っている」「相手の立場に立ってものごとが考えられる」この二つがあって、「教養がある」と考えている。なので、いくら知識があっても、自分のいったことで相手が傷つくことを想像できない人は、教養があるとは言えない。

 

伊藤忠兵衛が、商売について語った言葉。「商売は菩薩の業、商売道の尊さは、売り買いいずれをも益し、世の不足をうめ、御心の心にかなうもの」

 

・入門書や、解説書だけでは、オリジナルの本来の空気感を味わえなかったり、伝わらないことがある。オリジナルを読むのは、時間も手間もかかるが、エネルギーを使った分だけ必ず血肉になる。

 

・著者の言っていることをそのまま受け取るだけでは論理的に考える力が身に付かない。そのため、その力を身につけるためには、「批評的に読む」事が大事。(著者の言っていることは正しいのだろうか?みたいな)

 

・読書は、著者や、登場人物と対話をする作業。その意味において、読書は決して孤独ではない。

 

・あとがき。「・・・そんな私が人生の最後に見る風景は、やはり本に印刷された文字と、それを介して想像される未知なる世界なのかもしれません。」