<<書評>> -書評- 「know」
野崎まど著作「know」読了しました。
SF作品ということで、はじめてSFらしいSFを読んだ気がします。エロゲでやったSFといえば、「最果てのイマ」ぐらいで、あれは読み進めるのがキツかったのですが、この「know」に関して言えば、割と読みやすくて、SFというものがどういうものなのかを知る作品としては良い作品なのかなという風に思います。
が、キャラクターの魅力とかはあまり感じれず、特に主人公である「御野・連レル」については、徐々に影が薄くなっていくような感じがして、ちょっと残念でした。
ページ総数350項ということで、結構多いな...って感じで、あらすじに上手くまとめられるか心配ですが、書いてみます。
★あらすじ
西暦2081年、現代は「電子葉」の発明によって、パソコンやスマートフォンなどの端末を用いずとも、個人単体でネットワークに接続できるようになっていた。しかし、だれもかれもあらゆる情報に接続できていたら、ネットワークの維持に負荷がかかるという建前から、社会的に優遇されるべき人には、接続できる情報のレベルを厚遇するというクラス分けが行われていた。
「情報庁」に勤める、高級官僚である「御野・連レル」は、ほとんどの情報にアクセスできるクラス5を付与されていた。もともと彼が、情報庁に入省したのも、子供の頃に出会った大学の教授、かつ、「電子葉」の生みの親である「道終・常イチ」との約束を果たすためであった。
「君は自由でいなさい。
情報が自由に得られる場所にいなさい。
クラス5を目指しなさい」
この手紙を最後に、「道終・常イチ」は失踪した。
情報庁に勤め、情報審議官に昇進し、約束通りクラス5に昇格しても、そこから見える世界は、クラス4の延長線上でしかなかった。なにか啓示が得られるわけでもなく、ただ先生を失ったという喪失感だけが心の奥底を支配していた。
ある夜、いつものように教授の残した遺物であるソースコードを眺めていると、ふと違和感を感じる。ソースコードにタイプミスがあることは、昔から気付いていたが、そもそもなぜ、「天才である先生がこんな私にでも分かるミスをするのだろうか?」と疑問に思った。そしてその瞬間、そのタイプミスが「御野・連レル」に宛てたメッセージであると直感した。
メッセージを解き明かし、失踪したはずの先生と再会することができた。そして、今まで心の中に蟠っていた喪失感を吐き出すように先生と議論し、そして先生の講義を受けた。
先生はなぜ失踪したのか?その理由は、「電子葉」の先を目指すためだった。現代のインターネット網はカオス化していて、人間の脳のような複雑性を極めており、かつ、人間の「癖」のようなものがインターネット上に発生していた。「電子葉」では、その癖を解析するだけの演算能力が足りず、新たなデバイスを開発するための環境を求めて「道終・常イチ」は失踪していたのだった。
そして、「御野・連レル」が訪れる今日よりもずっと前に、「電子葉」の完全上位互換「量子葉」が完成していたことを「御野・連レル」に告げた。そしてそのチップを埋め込んだ、「道終・知ル」が、講義中の教室に現れ、「御野・連レル」の眼前に立つ。
先生は、「道終・知ル」の頭を優しく撫でた。
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「後のことを頼みたい。そのために君を呼んだ。」
「後?後って何ですか?どういうことですか?」
先生は彼女の肩を優しく掴んで、体を離した。
「お父さん」
先生は少女に優しく微笑みかけ、そして僕に顔を向けた。
「科学が求めるものはなんだ?」
それは問題だった。
先生が僕に出した問題だった。
僕は考えた。考えた。考えた。
けれど僕は答えられなかった。
はじめて会った時から僕は、先生に一度も追い付くことができなかった。
「”全知”だよ」
先生は解答を呟くと、懐から黒い塊を取り出した。僕がそれを銃だと認識する間もなく、先生はそれを自分のこめかみに当てて、「先に行く」と言って、そのまま撃ち抜いた。
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いやー、「良くできている」というのが、感想を述べる際の第一声になるでしょうか。
ほとんどの伏線は回収されているような気がしますし、SFとしての理屈付けも理にかなっているように思います。
例えば、未来を予測できるとはどういうことなのか?についての説明があります。
人間には想像力(未来を予測する)が備わっていて、それは、過去の経験を基に、想像を働かせている。では、あらゆる情報(過去)を収集できる者は、限りなく正解に近い予測をすることができるのではないか?
という、理屈付けがあったりします。確かに、ありとあらゆる情報が取得できるのならば、本人以上に本人を知っているのかもしれません。
その他にも、なぜ「御野・連レル」が選ばれたのか、なぜセックスの描写があったのか、なぜ「道終・知ル」は自殺したのか。
あとあと考えてみると、しっかりと納得できます。そこら辺がSFといわれる所以でしょうか?