そして誰もいなくなった。

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<<考察>> -エロゲ―- 「はつゆきさくら」

 

はつゆきさくら 通常版 - PS Vita

はつゆきさくら 通常版 - PS Vita

 

「はつゆきさくら」クリアしました。

 

わたしがプレイしたのは、PCソフト版だったのですが、amazonの検索機能に引っかからなかったのでPSvita版を掲載しています。(18禁の関係?)

 

「はつゆきさくら」ということで...タイトル通りの出来だったと思います。

 

新島夕さんの作品をしたことがなかったので、どうなるのかなぁと思っておいたのですが、一通りクリアすると、「なるほど、こういう感じの作風なのね。」と理解しました。キャラクターの可愛さと、メッセージ性が両輪になっていて、バランス感覚からして、大多数の高評価も頷けるところです。

 

泣いてしまった...というような感想もあるようで。わたしは泣くまではなかったですが、Granduation編の桜ルートのエンディングロールで数秒映り込む3D演出には、ちょっとグッときました。なんか...ねぇ。自分が席に座っているような、懐かしい感覚。

 

 

 

 

では、考察です(ネタばれ注意。プレイしたことがない人は見ない方がいいと思います。)

 

 

本作が、他の作品とは違った面白さとしては、「卒業」をテーマに扱っているということが、まず珍しいと思います。まぁこの「卒業」という言葉も、そのまんまの意味でも使われるし、比喩としても使われるしで、額面通りな使い方ではないのですが。

 

卒業、とはどういうことなのか?ということについて、作中で言及していますが、一種の「区切り」とランは語っています。

 

ランは初雪に「卒業してほしい」と言っていましたが、ランはなぜ初雪に卒業してほしいと思っていたのでしょうか。それは、自分が「卒業」を迎えられないのが分かっていたから、なおさら普通になれる可能性のある初雪には、卒業してほしかったんだろうな、と思います。

 

ランは顔におそらく火傷を負った少女だったんでしょうね。ランは、病院で今なお療養中なのかは分かりませんが、女性の大切な顔に火傷の後が残ってたりでもしたら、それはもうショックで未来というもの到底考えられなかった、ということは容易に想像がつきます。作中でいえば「ゴーストに囚われている」とでもいうのでしょうか。「ゴーストに囚われている」というのは、つまり未来に希望を持ち得ない人のことを言っているんだと思います。

 

では、わたしたちは、ランにどういう言葉を投げかけてあげることができるのでしょうか?「ゴーストに囚われている人間」について何をアドバイスすることができるのでしょうか?

 

作中の言葉で、

「生者が夜な夜な死者の夢に焦がれるように、死者もまた生者の夢を見ているのなら、

 ・・・もしも彼らが、俺の夢を見ているというなら、そんな懐かしい人達のために生きてみてもいいのかもしれない。」

という、初雪の独白があります。(ちょっと抜粋しています。)

すごくなるほどなぁと思います。わたしは結構夢を見るタイプなんですが、高校時代とか、中学時代とかで縁があった人とかは割かし夢に出てきます。結構懐かしんで、起きてから孤独を感じたりするのですが、他人もまた、私が夢に出てくる可能性というものを否定することができないんですよね。それって結構、わたしが孤独を感じているようでいても、やっぱり人と繋がっている可能性を否定することができないんですよね。

 

わたしが死んだあと、ほとんど悲しむやつはいないだろうな、とふと考えたりもしましたが、それは結構自己中心的な考えで、やっぱり他人は他人で、ちゃんと存在して、考えていることも、わたしの想像してる範囲内には収まっていないはずです。今回のストーリーを見てわたしの他人に対する理解の仕方が足りなかったんだろうなと改めて考えさせられました。

 

いわゆる「独我論」に陥りがちなんだと思いますよ。「ゴースト、死者」の人たちは。自戒の意味を込めて言いますが。

 

ではそれを踏まえて、ランに何のアドバイスができるのか考えてみると、「あなたを悪く言う人がいるかもしれないけれども、あなたに親しみを持っている人もちゃんといるよ」ってことかもしれないですね。コンプレックスがあるとどうしても思考が内に内に向かってくるので、周りの存在を画一的に評価したりする傾向があり、「違うよ。他人は貴方が思っているように考えているかなんて決めつけられないよ。」と諭す必要があると思います。

 

そして、本人が一歩踏み出した時が「卒業」なんでしょうね。そして、卒業の場に立った時、今まで歩いた軌跡というものを見返した時にこそ、見えてくるものがある、とランが語っていましたね。結局のところ、前に一歩踏み出すことでしか、見えてこない景色というものがあるということでしょう。

 

他に、印象的なワードを挙げるとしたら「復讐」ですね。

 

初雪父の、復讐の動機の説明がありますけど、こちらも凄い納得するんですよね。やられたらやり返すって、確かに人道的には非難されると思います。しかも、それで気分が良くなるかというと、一時的には良くなるかもしれませんが、感情のしこりはずっと残されていくものかと思います。なので、合理的に考えると復讐することで物事が良い方向に向かうことは無いかと思いますが、それは初雪父も分かっていることで、それでも、やり返さないと報われない想いがある。と語っています。泣き寝入りなんてできない、と、泣き寝入りするぐらいだったらやり返してやる、ということですよね。もうなんか理屈じゃないですよね。そういう気持ちは。

 

そんな訳で、復讐を推敲するために担がれたのが初雪だった訳ですが、最終的には父と決別することになります。

 

これは、いうなれば父と初雪の復讐のベクトルが若干違ったからだと思います。父は殺されたからやり返す、という動機ですが、初雪は、桜(このときはランは生霊だということが判明している)を蘇らせるためには、復讐しかないという動機でした。ただは初雪は桜がそばにいてくれているということを理解していたので、もう復讐する理由はないということで、父と決別しました。

 

これはまぁ...なんというか、復讐自体を初雪が否定したというよりかは、復讐する理由がなくなったって感じで、そこまでカタルシスはなかったのですが、

 

ただ、「復讐」をやってるようじゃ、「春」は来ないし、「卒業」も出来ないんですよ。ということを、長いストーリーを通じて理解させるような説得力がありました。

 

なんでこの説得力を感じたかというと、多分伏線回収が見事だったからだと思います。複雑に見えますが、その説明を端折ってないのでほとんど不明点がないですね。これは中々できることじゃないでしょう。

 

一番好きなヒロインは、あずま夜。めっちゃ可愛いです。ちょっと真面目でツッコミ型なのがツボでした。

 

ほんと蛇足になりますが、東雲希とシロクマは、ゴーストライターがシナリオ書いたんじゃないのかとちょっと疑っています(笑)