そして誰もいなくなった。

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<<感想>> -アニメ- 「ACCA13区監察課」

 

 

原作全6巻既読。入口はアニメからでした。

 

滲み出る、渋いオシャレ感。これは好きな人にはたまりませんわ。ハードボイルド系の作品で良くあるアメリカン・ジョークとは違った趣がある。僕はアメリカン・ジョークがあまり好みではなくて、というのも、オシャレ感を全面に主張しているように感じられダサく感じるからだ。ACCAの雰囲気はそういう取ってつけたようなオシャレ感ではなく、生来のものだと感じる。アニメのOP、EDはこの作品のためだけにバンドを組んで作曲しているのはよく知られた話で、このACCAに対するスタッフの思い入れの強さを示しているだろう。他作と一線を画す特別な作品であることの証拠だ。

 

以降は完全にネタばれであるため、閲覧には注意していただきたい。

 

 

 

 

 

 

 

 

一連のクーデター騒ぎは、クヴァルム院長と、アーベントの策略によるものだった。

 

結果的に出来すぎなくらい上手く事が運んだが、あえてここで作中通り事が運ばなかった場合について考察してみることには意味があると思う。それによりこの策略が偶然の産物であったのか、それとも隙のない完全な計画だったのかを検証することが出来る。

 

一つだけ取り上げてみたいと思うが、第6巻のACCA100周年記念日前日にクーデター打ち合わせの集会を開き、当初の計画では式典当日に王位継承権をジーン・オータスに譲らせるという算段になっていたが、シュヴァーン王子が譲らないと意固地になる可能性があるので、後日誓紙をもって誓わた方が良いのではないかと、ジーン・オータスは提案した。

 

リーリウム長官は一応納得はしていたが、僕は、ACCA100周年記念式典当日に、公の場で、シュヴァーン王子に誓約を誓わせることには意味があるように思う。リーリウム長官がそれに固執することも十分に考えられたのではないか?だからこそ、あえてここで、ジーン・オータスが王家の血筋を引いていること、シュヴァーン王子に国王にならないと誓わすことを公の場で発言した場合について考えてみたい。クヴァルム院長が記念式典当日に照準を合わせていたことは間違いないと思うが、ACCA側の言動についてまで予測するのは不可能なはずだ。どう転んでも望む結果が得られたのかを考えてみる。

 

1、ジーン・オータスが王家の血筋を引いていること、シュヴァーン王子に国王にならないと誓わせることを公の場で発言する。

 

2、リーリウム家以外の各区有力者たちは、シュヴァーン王子が即位することを望むので、当日中にこのクーデターは茶番だと誰かが発言するだろう。発言はひっくり返せない。なぜなら、大々的に放送されているからだ。だからリーリウム家は必ず負ける。シュヴァーン王子はACCAの存続は認めるだろう。

 

3、ジーン・オータスが王家の血筋を引いていることを完全なデマだと国民に信じ込ませるのは普通は難しい。火の無いところに煙はたたない。しかし、このクーデター自体が壮大な茶番なのだ。国民は気に留めないかもしれない。

 

 いや、もしかすると当初の計画の場合は、リーリウム長官が発言するのを遮ってモーヴ本部長が語り始めるだろう。やはりリーリウム家の負けだ。

 

 ACCA100周年記念式典時にクーデターを起こすこと、ジーン・オータスが王位を継ぐと主張しないことをクヴァルム院長は読んでいただろう。しかし、これが茶番であると発言することまでは読めていたのか?真相はどうであれ、このクーデターは茶番でなければならない。そして、ジーン・オータスが王家の血筋を引いていることを明らかにしてはならない。なぜなら、シュヴァーン王子が即位することを国民はあまり望んでおらず、ジーン・オータスが血筋を引いてると知れば、世論は一気にジーン・オータスを国王にすべしと傾くからだ。

 

 となると、クヴァルム院長はこの茶番の演出まで読んでいたことになる。ここまでくると推測というには、希望的観測が過ぎるような気がするのは僕だけだろうか?がしかし、この解決法しかありえないのは理解できる。

 

 

 

 上記のような疑問が残るものの、面白い作品であるのには違いない。伏線散らかりすぎかなと思っていたが、最後に上手く回収できていた。

 

 先日、ACCAの世界観を共有する「BADON」が発売された。タイトルからしてやられた、とクラッときたが、内容もやはり面白い。月刊誌を買わないので、次巻発売が2020年の4月予定とまだまだ先で残念ではあるが、発刊をしばし待とう。