そして誰もいなくなった。

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死ぬほど読書 (幻冬舎新書)

死ぬほど読書 (幻冬舎新書)

 

 伊藤忠商事㈱の名誉理事である、丹羽宇一郎さんが、読書の効用や、読書の必要性、また、丹羽宇一郎さんにとって、読書というものがどんなものであったかを語った本です。

 

タイトルは、「死ぬほど読書」っていうことですが、タイトルに偽りありというか、丹羽宇一郎さんが伝えたかったのは、そういうことではないかと思います。「死ぬまで読書」がタイトルとしてはふさわしいように感じました。

 

「死ぬほど読書」っていうと、本人の意気込みを読者に発信していようで、すごく熱い性格の人なんだろうなぁ、と受け取られそうですが、読み終わってみると、内省的な性格の方で、ほんと読書が好きなんだろうなぁ、と思わせます。

 

 

★読書メモ

 

・インターネットが普及した今、アメリカの先の大統領選のときに起きたような、フェイクニュースというものが飛び交っていたりと、信頼の出来ないニュースや、情報が飛びかっている現状がある。情報の受け手は、ただ情報を安易に受け取るだけではダメで、批評的な見方が今後ますます重要になってくると考えられる。現状、ネット情報の信頼性が低いのが問題。その点、本というものは、書き手というものが明示されているので、信頼性が最低限担保されている。

 

・「知識」とは、ネットで引っ張ってくる断片的な情報のこと、ではない。情報を「考える」作業を経ないと、知識にならない。考えることによって、さまざまな情報が有機的に結合し、「知識」になる。

 

・教養とは、「自分が知らないことを知っている」「相手の立場に立ってものごとが考えられる」この二つがあって、「教養がある」と考えている。なので、いくら知識があっても、自分のいったことで相手が傷つくことを想像できない人は、教養があるとは言えない。

 

伊藤忠兵衛が、商売について語った言葉。「商売は菩薩の業、商売道の尊さは、売り買いいずれをも益し、世の不足をうめ、御心の心にかなうもの」

 

・入門書や、解説書だけでは、オリジナルの本来の空気感を味わえなかったり、伝わらないことがある。オリジナルを読むのは、時間も手間もかかるが、エネルギーを使った分だけ必ず血肉になる。

 

・著者の言っていることをそのまま受け取るだけでは論理的に考える力が身に付かない。そのため、その力を身につけるためには、「批評的に読む」事が大事。(著者の言っていることは正しいのだろうか?みたいな)

 

・読書は、著者や、登場人物と対話をする作業。その意味において、読書は決して孤独ではない。

 

・あとがき。「・・・そんな私が人生の最後に見る風景は、やはり本に印刷された文字と、それを介して想像される未知なる世界なのかもしれません。」