そして誰もいなくなった。

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<<書評>> -その他- 「北欧の巨匠」 シベリウスについての記事

 

 昔はクラシック音楽もよく聴いていたのですが、最近はこころに余裕がなくてあまり聴いていませんでした。でも久々に聴くと、やっぱいいな、と思います。

 

一番好きな、クラシック音楽は何ですかと聞かれたときは、「シベリウス交響曲7番」と答えるようにしています。聞かれたことないですが(笑)

 

シベリウスはマイナーっぽくて通な感じがあるので、ドヤれる要素があるとは思いますが、そんなことは抜きにして、7番はほんとに素晴らしいです。特にトロンボーンの主題が出てくるあたりまでは、誰が聞いても至高の音楽だと思います。

 

序盤の弦楽合奏は、冷寒の地の薄氷のように、触れれば砕けてしまいそうな繊細さや、大自然に宿る霊力のような神秘性を感じさせます。トロンボーンの主題は、その大自然と力強く共存する生命の存在を感じさせます。

 

トロンボーンの主題が終わった後は、雪解けの後、あちこちの小動物がひょっこり顔を出したかのような生命のぬくもりを感じさせたり、もっと大きな大自然の雪の帳が降りてきたりと、スケール感の対比があったりして、最後は、深夜に降る雪のようにしんしんとした静けさの中から生命の主題が再び現れます。そして、その静けさが徐々にクレッシェンドしていって頂点に達したとき、大地が振動するような金管の強烈なフォルテッシモが響き渡り、朝焼けを迎えたかのような力強い弦楽のフェルマータで幕を閉じます。

 

どうでしょうか?魅力は伝わりましたでしょうか(笑)読書メモとは関係ありませんが、好きで書いてしまいました(笑)

 

 

▼読書メモ(シベリウスの作曲動機についての考察)

 

シベリウスフィンランドのハメーンリンナと呼ばれる都市で出生した。

フィンランドは当時、西スウェーデンからのキリスト教と東のロシア正教の勢力の接点となっていた。ハメーンリンナは西寄りの地域だったので、スウェーデン語を第一言語としていた。

音楽院生としてベルリンに留学した時に、リヒャルトシュトラウスの「ドン・ファン」を聴いて、交響詩の魅力と可能性について啓示を受けた。そして、留学先で祖国の指揮者であったロベルト・カヤヌスが、祖国の偉大な伝承叙事詩「カレワラ」にちなんだ<アイノ交響曲>をベルリンフィルで客演したのを聴いて、民族的題材による創作への可能性をおおいに覚えらされた。

そののち音楽院の教授職につくなど生活が軌道に乗ってきたとき、フィンランドでは、2月宣言による自治権のはく奪、フィンランドのロシア化政策などによって国民の危機感が高まり、愛国運動が燃えさかっていた。

シベリウスは、検閲の強化への抵抗運動のために作劇された劇のために音楽を書いたりもした。それがのちに編集され「フィンランディア」となって、世の中に普及していった。

そんな情勢の中、シベリウスは生誕50周年を迎えることとなった。国としても、一大作曲家として記念行事を行おうとした。そのときのプログラムとして、自身の新曲を発表することを公表する。そのときにデッサンとして浮かんだのが、「第5交響曲」「第6交響曲」「第7交響曲」である。

当時の情勢と、シベリウスが「カレワラ」に多大な影響を受けたということを鑑みると、上記の交響曲は彼の「民族的価値観」が影響しているというのは、決して推測できないことではないであろう。(「カレワラ」は当時ロシアの圧政下にあったフィンランド人の民族的自覚を促し、愛国独立への運動の精神的根拠となっていた。)