そして誰もいなくなった。

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<<書評>> -小説- 「家族八景」

 

家族八景 (新潮文庫)

家族八景 (新潮文庫)

 

筒井康隆著作、8篇の短編小説で構成されています。

 

あらすじとしては、テレパス能力をもつ「火田七瀬」が、住み込みのお手伝いさんとして働き、いろいろな家庭の諸事情を目の当たりにする。というようなものです。

 

タイトルは「家族八景」となっていますが、実質9家族の内情が明らかにされていきます。そのうち「七景」については、救いようがなく後味が悪いです。嫉妬、精生活、恨み、浮気、自己防衛、虚栄心etc...。よくここまで醜い性質をこれほど書けるものだと感心します、もはやそれが人間の普遍的真理であるかのように訴えかけてきているでもあります。

 

構成としては、8篇の小説ですが、時系列としては連続しています。七瀬がなぜ、高校を卒業してからすぐに、住み込みのお手伝いさんとして働いているのかも、終盤明らかになります。なるほどたしかに、こんな能力があったら会社続かないよな(笑)と同情します。

 

 

★内容の感想<<ネタばれ注意>>

 

 

▼「水蜜桃」より

 竜一夫婦と、その子が、早期定年退職を迎え、暇そうに家の中をうろちょろする勝美を馬鹿にする...。

 

 これは、黒い(笑)

 

▼「紅蓮菩薩」より

 夫の非常識なふるまいがいずれ外部に漏れ出るのを予見し、「気の毒なお嫁さん」として道化を演じることで、結果、菊子が良妻というイメージが創り上げられるだろうと打算していたこと。

 

 ややこしい打算(笑)ひねくれてるなぁ...。

 「紅蓮菩薩」というタイトルが秀逸。

 

▼「芝生は緑」より

 二組の夫婦が、互いの夫婦の配偶者のことに好意を抱くようになるが、良識的な貞操観念が各人を縛り付け、一線を越えた先に進めなくなっている中、七瀬がそれを崩してしまおうと画策する。そのことに対して、七瀬はなんの罪悪感も感じていない。

『・・・そうした工作が二組の夫婦を悲劇に導いたとしても、決して自分は罪悪感を感じないだろうと七瀬は思った。いうまでもなく彼女の超自我は常人と違っていた。彼女の倫理にとって、正常な人間たちの「願望」と「実行」の間には大きな隔たりを認めることができなかった。彼らの空想を実現し易くしてやることは、七瀬にとってちっとも不道徳なことではなく、それはむしろ彼女の中の人間関係に対するピューリタン的な厳しさと、人間探究心によるものだった。七瀬の心にはまた、「神」も存在しなかったから、彼女が自分の行為を神の行為に置き換え、自分がいかに大それたことをしようとしているかを反省し、畏れおののくようなこともなかった。』

 

 正常な人間たちというのは、この二組の夫婦のことを指しているかと思いますが、七瀬にはこの「一夫一妻制という慣習が作り上げる貞操観念」が特別に虚構のように感じられたんでしょうね。ピューリタン的性格にも納得です。人のこころを読み取ってしまう七瀬にとって、だれそれの自己矛盾な言動にも嫌気がさしているでしょうし。そんな考えているんだったらやっちゃえばいいんじゃないですか?という七瀬にとっての善意の行為なんでしょう。

 ・・・それにしてもすごい文章です。

 

 そして、七瀬によって破局の引き金をひかれた二人だったが、お互いの関係が公に明らかになってしまったのをきっかけに、それぞれの配偶者どうし嫉妬の念を互いに燃やし、それは精の高ぶりへと昇華していった。そしてその精の高ぶりを復讐かのごとくその晩、互いにぶつけ合った。そして、頂点を迎えた時、その二人の間に産まれたのは『愛』だった。

 

 ひえええぇぇ。すごいですね(笑)

 論理を超えているような気もしますが、なんか納得できる気もします。

 『・・・まだまだわたしにはわからないような、複雑な心的機構が人間の中にはある、と思いながら、七瀬は苦笑し、掛け布団に顎を埋めた。』

 さすが、研究者気質(笑)

 

 その翌日、買い物に行こうとして、マンションの廊下へ出た七瀬は、もう一組の奥さんに出くわした。

『・・・かいがいしく腕まくりをして廊下に面したドアを水で洗っている季子に出会った。彼女の眼の下には夫に殴られてできたらしい大きな傷があった。しかし彼女は、今までになく幸福そうな表情をしていた。』

 

 唯一のハッピーエンド。生傷と笑顔の対比が美しい描写です。