<<書評>> -ビジネス本- 「法人税申告書に強くなる本」
今の時代、申告書の作成は自動化が進んでいます。例えば別表16(減価償却)関係なんて、減価償却明細に所定項目を入力した後、「連動」ポチっ、ですぐに別表に飛んでいきます。便利な世の中ですが、税理士業界がどういった変容を遂げていくのか気になるところではあります。
まぁそれは置いといて...。細かい規定の別表の書き方などについては、その都度手引きを引いて確認していけばいいんですけれども、別表4、5(1)、5(2)の繋がり、それと各記載箇所の意味についてはちゃんと押さえる必要があります。実際会計事務所に入所したら、「この項目はこれを記載して~」というような指導を受けると思いますが、そんな口伝の様な指導法では、この資料は何のために作成している資料なのか、といった本質を見落とす可能性が高いと思います。
そうなってくると、どうしても座学が必要になります。そんなときにおススメしたいのが上記書籍。
この本の良いところとしては、「租税についての処理と書き方」が第一章に記載されているところです。結局のところ法人税申告書でややこしいところといったら租税関係だと思います。他の申告調整、税額控除なんかは規定に当てはまるか確認していけばいいだけ(そもそも申告調整はほとんどでないと思いますが...)ですが、租税項目は法人税申告書の本質的な理解が求められます。
第一章から述べられているということは、実務にとって大事だからです。白状しますと、わたしもよく理解しないままやっているところもありました...。ただ一つだけ要望としては、当期法人税等中間納付、当期法人税等還付のケースも入れてほしかったです。。あれの県民税、市民税の均等割りについては1/2納付するとかキモすぎます。。危うく死ぬところでした。。
やはり申告書を作っているわけですから、「なんでこれがここに入っているのか?」を理解することは、税務を代理するものとしては基本的な務めだと私は思います(^p^)
<<書評>> ‐ライトノベル‐ 「ミミズクと夜の王」
第13回電撃小説大賞<大賞>受賞作、なおかつ、ちょっとタイトル的にも表紙的にも面白そう、と興味を惹かれて購入しました。
あらすじとしては、自分の事をミミズク(鳥の名)と語る奴隷として扱われてきた少女と、魔物の王との心の通い合いを書いたお話。凄惨な過去を持つミミズクは、人間としてまともな扱いを受けてこなかったため、精神的に重大な欠損のある少女。魔物の王と関わり合いをきっかけに、人間らしさを取り戻していくお話。
以下、雑感です。(※ネタばれ注意)
正直、ストーリーとしては予定調和的に進むのであまり面白くなかったです。読者によっては、物語の結末が約束されたハッピーエンド過ぎて、あまり面白いとは感じなかった人もいたのではないかと思います。
しかし、シナリオの展開としては丁寧な印象を受けました。物語が前に進むために必要な役が揃っていたので自然な進み方だったと思います。
一点だけ気になることとしては、聖騎士アン・デュークがレッドアーク国王ダンテスを裏切るシーン。彼は夜の王を叩ききることはなく、夜の王の魔力を吸い取った水晶玉を破壊しました。彼は以前、国王から夜の王の脱走を援助した場合、一族全員根絶やしにすると国王から脅されていたのにも関わらず、夜の王を助けたのです。
結末としては、国王の息子クローディアスも魔王によって救われるので、国王にとって魔王を拘束する理由もなくなるので、アン・デュークの一族を根絶やしにする必要もなくなるのですが.....。
それはあくまで「結果論」ですよね。天秤に掛けられた一族の命があまりに軽すぎる。彼は何一つ葛藤もなく水晶玉を叩き斬りました。もし仮にクローディアスが救われなかったとしたら、アン・デュークは一族を守るため、国を相手に戦うつもりだったのでしょうか?
まぁ、それはそれで良いのですが、そこの記述が必要だったと思います。
さて、本編を読んだ限りではあまり面白くなかったというのが正直な感想ですが、著者のあとがきを読みましたらこの作品の評価が一変しました。
以下、引用です。P265-
「私安い話が書きたいのよ、と、熱に浮かされた病人みたいに、たち悪くくだを巻く酔っぱらいみたいによく言ったものです。私安い話を書きたいの。歴史になんて絶対残りたくない。使い捨てでいい。通過点でいいんだよ。大人になれば忘れてしまうお話で構わない。ただ、ただね。その一瞬だけ。心を動かすものが。光、みたいなものが。例えば本を読んだこともない誰か、本なんてつまんない難しいって思ってる、子供の、世界が開けるみたいにして。私が、そうだったみたいに。そういう、ね。ああ。小説を書きたいな。
そう呟きながら生きて来ました。理想と綺麗事が必要でした。「綺麗事だけじゃ生きていけないよ」訳知り顔でそんなことを言う先輩に、「私は生きていくよ!」そう返した若さと幼さはもう持たないけど、歯を食いしばりながら夢を見ました。今も、夢を見ています。」
-引用終了-
まさか「使い捨てでいい。忘れられてしまって構わない」というモチベーションで創作されている方がいるとは.....。私とは180度ベクトルが違う考え方をされていることにびっくりしました。
私がこのサイトで考察をしたりするのは、一つの側面として「自分にとってかけがえのない作品であったことを記録、かつ表現したい」という思いがあって、このサイトに記事を起こしています。私としてはエロゲにしろ、小説にしろ、あまり消費するもの、としては扱いたくないのです。それは創作に対する考え方にしても本質的なところでは同じです。
私とはベクトルが違いますが、「本を読むことによって救われた部分があるから」という一点で創作されているその姿勢は、純粋に素敵だなと思いました。
ハッピーエンドを貫くので、私の性格上、「ん....?」と首をひねるところもありましたが、他の人には布教したい作品ではあります。
<<感想>> -エロゲ―- 「向日葵の教会と長い夏休み」
向日葵の教会と長い夏休み -extra vacation- 通常版(特典なし) - PSP
- 出版社/メーカー: けろ枕
- 発売日: 2013/11/28
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雛桜ルートが大変良い出来でした。今回はネタばれなしで感想を書いていこうと思います。
雛桜以外のヒロインについては残念ながらスキップしたので、そこについては何も語ることは出来ませんが、雛桜ルートだけでも充分価値のある作品です。
雛桜ルートが、どんな雰囲気のお話かざっくり教えてくれと言われましたら、
「・・・・・どこまでもお子様だな。大人の社会は君が思うほど単純じゃない」
という、ある人物の一言がこの物語を的確に表しているように思います。
それぞれの立場、それぞれの思い、それぞれが歩んできた人生。どのキャラクターの心情もよく理解できます。発せられた言葉だけが真実とは限らない。だから私たちは相手の気持ちを推し量ることでしかできなくて。でもそれがお互いにから回りして・・・・・。
そんな単純でない現実の世界と、ちょっぴりファンタジーな猫のお話。
ピースが一つでも欠けていたらこの物語は成立しなかっただろうなと思わせる、奇跡的な何かを感じます。
BGMもとても良かったです。公式サイトで「雰囲気ゲー」と謳っているだけはあります。「雰囲気ゲー」というとあまり好意的な印象は持ちませんが、BGMとヴィジュアルで醸し出される雰囲気が良い、という意味で「雰囲気ゲー」というのなら、まさしく一級品の作品だった言えるでしょう。
・・・
変わらないものがある。
―――それは、相手との関係性だったり。故郷の在りかだったり。
変わってゆくものがある。
―――でも、今という瞬間は過ぎ去って。変わらないと思っていたものも変わってゆくこともあるだろう。若しくは、もう変わってしまったことを自覚しているかもしれない。
それでも―――帰りたくなる場所がある。
―――それでも私たちは過去でも未来でもない、今を生きているのだから。
ささやかで、とっても身近な希望を胸に...
『希望の前で、待ち合わせ』
それは今を生きる貴方へ送る、エールの言葉。
<<感想>> -エロゲ―- 「フレラバ ~Friend to Lover~」
Friend to Lover ~フレラバ~ (通常版) - PS Vita
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陽茉莉ルートがすごく良かったので感想を書いていこうと思います。
<ネタばれ注意、未プレイの方は閲覧しない方がいいです>
幼少の頃から仲の良かった、青葉恭介と皆原陽茉莉は青葉家の引っ越しに伴いお互いは離れ離れになった。お互いにメールアドレスを交換していなかったこともあって、恭介が転校してからは二人は疎遠状態となっていた。
時は過ぎて二人は高校へ進学することとなり、偶然にも同じ高校へ進学することとなる。互いに相手の存在を知りつつも、疎遠状態であったことの気まずさや複雑な心境があって積極的に話しかけるようなことはしなかった。
そして高校二年生となり同じクラスに進級することになる。二年生になってからは恭介の方から積極的にアプローチをかけ、それが功を奏しお互いは付き合うこととなった。
デートを重ね親密になった頃、恭介は陽茉莉の実家に上がり彼女の部屋でのんびりくつろいでいた。傍にいる彼女はすやすやと眠っているようだ。
幼少の頃からあまり変わらない陽茉莉の部屋、なつかしくていろいろ物色していると一冊のノートが棚から落ちてきた。めくってみると中から、恭介へのラブレターが挟まっていた。恭介の引っ越しの後、しばらくしてから書かれたラブレター。しかしそれは渡すことを前提に書かれたものではなく、自分の気持ちをここで完結させるために書かれたものだった。
『みんなから、いっぱい冷やかされたこともあったけど・・・・・』
『わたし、ずっとあなたのことが好きでした』
『あと、一つだけどうしても謝りたいことがあります』
『学校でいつも私が隣にいたんじゃ、当然男子から色々言われるよね』
『私、すごく今まで無神経だった。昔からずっと一緒にいたからって、男子側の都合も考えなくちゃ駄目だよね』
『私も、卒業を機会にちょっと幼馴染み離れをしようと思います』
『どうか、楽しい学校生活を送ってください。私もいっぱい友達が作れるように頑張ります』
『それじゃ』
幼馴染であるが故の葛藤。胸に秘めた思いに陽茉莉はふたをした。
それを知った恭介は、高校に入学してから陽茉莉が喋りかけてこなかったのは、子供のころと同じように恭介に迷惑がかかると思い込んでいるからだと察する。
『―――なぁ、陽茉莉』
『お前ケータイ買ったとき、俺にわざとアドレスを教えなかったんだろ?』
『え?違うよ?だからそれはお母さんが』
『さっき陽子さんに聞いたら、そんな話知らないっていってた』
『なぁ、本当のこと言ってくれよ。お前きっと、俺に色々と気を遣って黙ってたんだろ?』
『・・・・・・・』
『お前、また俺が新しい学校で孤立しないように、わざと話しかけてこなかったんじゃないか?』
『どうせ俺の迷惑になるとか、そんなことばっか考えて・・・・・』
『――――違うよ』
陽茉莉は、恭介の推察を否定する。事実そうではなかったのだ。
幼少の陽茉莉は、恭介に迷惑をかけたくないという気持ちと同時に、自分が恭介に抱いた好意というものが、幼馴染の延長線上に芽生えたものなのか、それとも純粋に異性として抱いたものなのかがあの頃は判別が付かなかった。だからこそラブレターは恭介に渡されることもなく押し入れの中にしまいこんでいたのだった。
卒業して、別々の学校に行っても恭介の事が好きだったなら、告白をしよう―――。そう思っていた陽茉莉だったが、進学先でも楽しいことはいっぱいで。徐々に恭介への思いは薄れていった。だから、同じ高校に進学したと分かった時でも特別話しかけるようなことはしなかった。
それに、もう一度恭介の事を一から好きになったのなら、それはそれで、とても素敵なことだと思ったから。
『その結果は?』
『・・・・・・』
『えへへ、結果はこの通り』
『私、結局二回も好きになっちゃった・・・・・』
陽茉莉は恭介の事を、単なる異性とか幼馴染とかいう記号ではなく、一人の人間として、一人の存在として恭介の事を愛していたのであった。
――――――――――――――――――――――――――――――――――――
うーん、素敵な話でした。SMEEの作品はこれが初めてでして、これなら「ピュアコネクト」も期待できそうですね。ピュアコネクトの方は絵柄が個人的にイマイチでして、絵柄とOPがイマイチな作品はあまり食指が動かないのですが、フレラバの特に陽茉莉ルートが特に面白かったので、ブランドに期待してピュアコネクトの方も買ってみようかと思います。
がっつり読んでいたのが陽茉莉ルートだけだったので、どうしても陽茉莉だけの話になってしまうのですが、女の子らしい女の子で、生きたキャラクターを作るのが大事というのが物語の基本だと思いますが、まさにキャラクターとして生きていて、良いシナリオだったと思います。
<<考察>> -エロゲ―- 「装甲悪鬼村正」
- アーティスト: VERTUEUX,Yukky(PIAS)小野正利,小野正利,VERTUEUX,Yukky,渡邊カズヒロ,Kenl,磯江俊道,榊原秀樹
- 出版社/メーカー: インディーズ
- 発売日: 2009/09/18
- メディア: CD
- 購入: 1人 クリック: 31回
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※ネタばれ注意。
1.私のした行為に対して、復讐されることを許せないのなら、私はその行為をしてはならない。
例えば、私が人を殺めたとして、その被害者の関係者から、私の大切にしていた人達が殺されたとしても、それについて私は何も文句を言うことはできない。
なぜなら、すべての契機は私が殺人をしたことから始まっており、私が殺人さえしなければ復讐されることもなかったからである。
これは哲学でも何でもなく、道理だ。
善とか悪とかそういう問題ではなく、私が他人からされたくない行為を私がしてはならない。
私がその行為をしてしまうということは、他人からその行為をされることを容認するということになるのだから。
...そんなことを考えていると、善、悪などの哲学的問題なんかよりも、道理というものは、なんの疑いようもない論理的帰結であると悟ります。
2.「これは、装甲悪鬼村正の物語である。」
人を殺すということは、どういうことだろうか?
一つの側面として、被害者の言論を封殺する、ということがあると思う。
被害者の言論を封殺するということは、被害者が求める責任を、加害者が受け付けないということである。
湊斗景明は、三世村正と争いのないところへ逃避行しようとする。それはつまり過去の行いについての悔いがあったからに違いない。
だがその場合、彼の正義感によって殺された人達の死の意味はどうなるのだろう?
彼がその正義感を途中で挫折するということは、その瞬間、今まで彼に殺された人達の死の意味が無価値化するということである。
被害者は、責任を求める糾弾の声を封殺され、なおかつ、意味もなく殺されるのである。ほんとうに、ただ、死んだだけ。
そんな人道にもとる行為を私たちは許せるはずはない。
だから、正義を基に振りかざした刃は、その道を最後まで貫きとおさないといけない。被害者の死を無意味にしないためにも。
己の正義のために一人殺したのなら、そこから先は修羅の道。
故に、この物語は、装甲悪鬼村正の物語である。
<<考察>> -エロゲー- 「猫撫ディストーション」
「猫撫ディストーション」を最初にクリアしたのは、およそ1、2年ぐらい前だったと思いますが、当時、非常に感銘を受けた記憶があります。自分の意思によって世界を選択できるなんで、なんて崇高な事なんだろう!と、大真面目に信じておりました。
最近になって、もう一度プレイしようと思い立ち、大好きな「琴子ルート」の攻略にかかりました。そして、昨日になって一通りクリアし終えました。これで、「琴子ルート」については、2週したことになるのですが、1週目の時と、だいぶ違った印象を受けています。
この作品自体、1週だけではこの作品の本質を読みとるのが難しいんじゃなかろうかと感じます。(まぁ私が本質を理解しているという自信はないですが)
1週だけして、前の私のように「自分の意思によって世界を選択できるなんで、なんて崇高な事なんだろう!」なんて知った風な口を言っていたら、ちょっとイタいやつかもしれません(笑)ぜひ周回プレイをおすすめします。
▼以下、ネタばれのため閲覧注意
まず、一番最初に注意しないといけないのは、ふたご座流星群の降る日に、量子ビームを打ち出す実験をしたことによって、過去方向に影響を与えているということです。だからこそ琴子が蘇ったりと、いろいろ不可思議なことが起きています。
ただ、それは副産物みたいなもので、きちんとその量子ビーム実験で余剰次元を巻き込んだ後は、彼ら彼女らは電子化されて、樹は観測したいものを観れるようになります。
SF的な話でいえば、ブラックホールを自己生成して、電子世界と、この現実(作品上は、余剰次元があるという前提で進んでいますが)を融合させよう、みたいな感じですよね?
と、まぁざっくりしすぎで、かつ間違っているかも分からない説明でしたが、個人的には、大事なポイントはそんなところではなくて、「琴子が死んでしまった世界。何も変わらなかった世界(つまり、この現実)」にこそ作者のメッセージが込められてるんじゃないかと思います。その意味においては、やっぱり琴子ルートこそtrueルートなんじゃなかろうかと思います。
七枷電卓の手記に、「我々は認識という手段だけでは、世界に干渉できない。微視系の事象ならともかく、巨視系の事象については、手も足も出ない。」という記述があります。つまるところ、作者も分かっているのです。意思によって世界を選択することができるなどこのマクロの世界ではありえないと。
そう考えてみると、琴子を観測した世界も、ギズモを観測した世界も、その他のだれかを観測した世界も茶番でした、と言ってしまえそうな気もしますが、どちらかというと「琴子が死んでしまった世界。何も変わらなかった世界」に物語を収束させるための布石だったのかもしれません。(その意味で言うと、SFなんてガジェットを使うなんてすごい回りくどいことをしてるように思いますが、必要な手続きであったことが今は理解できます。)
「琴子が死んでしまった世界。何も変わらなかった世界」において、樹はいるはずのない琴子に話しかけます。
おそらくそれが可能なのは、樹が琴子を観測したいという思いと、琴子が樹を観測したいという思いが重なり合い、なおかつ、ふたりの関係性をお互いに同じ言語によって共有していたからだと思います。
「家族は揺るがない」AVGということで、キャッチーなコメントが箱の裏面に印字されていますが、逆に家族という関係が揺らぐ事の方が想像しにくいでしょう。なぜならそれはお互いがお互いを家族と認識しているから。揺らぐ関係性の多いこの世界で、希少な「揺らがない」関係性と言えるでしょう。
そのくらい、互いが互いに同じ関係性を求めている状態というのは強固であるが故に、誰でも求めたくなる境地と言えます。がしかし、この現実世界で相手の真意を汲み取ることが不可能であることは周知の事実です。
では、あきらめないといけないのか。その圧倒的現実に。
作品に耳を傾けてみましょう。ふわりと内声が聞こえたような気がします。
相手の真意を汲み取ることが不可能である以上、こちらが取れるアクションというのは、「ただ求めること」にあるように思います。だって求めることすらしなかったら、「同じ世界を観ること」なんてありえないのだから。
家族はお互いが家族であるという認識から成り立つものであり、その中に異分子が1人でも混じり込んでいたら、それはもうだれでも直感的におかしいと思うでしょう。そのくらい家族という関係性が強固であると気付くと同時に、現実世界にその関係性を築けている以上、その関係性を成就させることは不可能ではないのです。
「―――世界は重なり合っているの」
ただそうでありたいと求めること。それこそが不可能を可能にする手掛かりなのかもしれません。
<<雑記>> 税理士試験について
ひさしぶりに投稿します。
1月といったら、資格専門学校の税理士講座の授業が始まるシーズンですよね。そろそろみなさんも重い腰をあげて、勉強に励みだしたことだろうと推察します。
わたしも官報合格目指して、ひたすら勉強しています。
他の資格の勉強法については意見する立場にないですけど、税理士試験に関して言うなら、「集中できる環境」で「どれだけやったか」に尽きると思います。
わたしは頭が客観的に見ても悪いので、当初の模擬試験とかは、まぁ惨憺たる結果でしたけれども、ひたすらやっていたら徐々にですが成績も上がっていきました。
効率の面でいえば、まちがった箇所だけピックアップして、そこを重点的に復習する方が、力も付くのかもしれませんが、同じ問題を解きなおすというのも、スピードが上がるし、精度も高まるし、自信もつくのでそれはそれでアリなのかな、とは思います。
というか、「効率」云々より、まずは「ひたすらやれ!」と個人的には言いたくはなるのですが。そんだけ本気でやっている人が少ないような気がします。(ちなみにこの「ひたすらやれ!」っていうのは、問題を解きまくれっていう趣旨ではなくて、教科書もすみずみまで読みとおすぐらいの「ひたすらさ」を指しています。)
正直なところ、残業の多い事務所は、税理士試験には向いていないと思います。特に税法は、ほぼ毎日机に向かうぐらいじゃないと、確実に合格できるレベルまで引き上げられないと思います。もちろん土日は休日ではありません。絶好の勉強日和ですよね(死)
...そんな訳で、最近のブログの更新が滞っています。あんまり税理士というものにも希望を感じなくなってきましたが、前へ走り出したからには最後まで走り抜けなければなりません。